猫を拾ったと思ったんだ。

どの家にも暗黙のルールというものがある。

それは家族間の「よき理解」と「なすりつけ合い」の狭間で宙ぶらりんになった何かだが、何かを明確にしないでいいのが家族というシステムの便利なところかもしれない。

 

小学生の弟が下校中に子猫を拾ってきた。

必然的に、小さい頃からカブトムシやザリガニを飼育していた僕が育てることになった。

猫とザリガニは「生き物」という以外はぜんぜん別物だろうに。

それにしても、なぜ僕は34歳のままなのに、5つ年下の弟が小学校低学年なんだろうか。

 

母が日々買いそろえて出来た食材の宝庫のような冷蔵庫をあけてミルクを与えようとするが、こんなときにフルーツ牛乳しかない。

実家の定番飲料は知らぬ間に麦茶とフルーツ牛乳に変わっていて時間の経過を感じる。

仕方なくきんきんに冷えたフルーツ牛乳のふたを開けてストローを通すと、久しぶりの食事だったのだろう、まだ目も開かないパンダのような白黒柄の子猫はストローで器用にそれを飲み干した。

子猫を抱いたまま近所の墓場へ家族で散歩し、気味のわるい地蔵に手を合わせて帰宅。

これは僕が19で上京してから出来た新しい暗黙のルールらしい。

家を出た者に新ルールへの異を唱える資格はない。

2階の自室に入って子猫の寝床をつくってやろうとダンボールを探す。

高校時代、美術部で油絵に没頭(というか逃避)していた僕の部屋は床が油絵の具にまみれていて、ペットはもちろん人間にも有害なにおいが18年経った今も充満していた。

筆洗い用のテレピンオイルの鼻を刺すにおいは、いつも両親、とくに父親をシンナー的な意味で心配させていたが、僕はそれが子猫の存在で初めて心配になった。

でも仕方ない、まずはダンボールとシーツでこいつの寝床をつくってやらにゃ。

みゃーみゃーと元気よく鳴いている、ちょっと安心。

物置と化したベッドの下を漁っていると、背後に子猫とは別のつよい存在感を感じる。

そこに子猫だったものはもういなかった。

白と黒の毛が辺りに抜け落ち、白い肌を露わにした、獣とヒトの中間‥‥?のような、なにか。

まるで羊膜からいままさにヌルッと出てきた子牛のように濡れている。

サナギから成虫になって羽ばたくアゲハチョウのスピード再生みたいに、みるみるうちにそいつは成長し、子猫は人間に、正確には、僕の妻になっていた。

しかも17歳の。

なぜ17歳だと「わかった」かはわからない。

妻は自分のからだにまとわりついた羊水をていねいに舐め取っている。

とりあえず、なにか着せなきゃ。

ちょうど本物の妻の黒い下着が床に落ちていた。

なぜそんなものが高校卒業から使っていない僕の部屋に落ちていたのかは「暗黙のルール」でも説明がつかない。

僕に考える余裕はなかった。

17歳の妻はそれを慣れた手つきで着ける。

が、まだ胸が小さくてサイズが合わない。

この際、なんでもいいや。

僕は次第に焦り出す。

本物の、33歳の妻になんて説明しよう。

これは猫です、で通じるだろうか。

This is a cat.なんて無意味に思っていた中学英語みたいな文章をまさか日本語で発する日が来るとは。

 

人は未来・現在・過去のことを同時には考えられない。
どれかひとつのことを考えている間は、のこりふたつは放置されてしまう。

と、昔TEDで天才スリ師がプレゼンしていた。

案の定、本物の妻が帰宅してくる未来の心配をしていた僕は“17歳の子猫”から完全に注意が逸れていた。

そいつはいつの間にか灰色のセーラー服を着て、窓から身を乗り出して向かいの高校に手を振っていた。

家の向かいに高校なんてあったっけ。

さっきまで猫だった妻の横に立って外を見ると、校舎の屋上でおなじ制服を着た学生が屯しているのが見える。

元気に手を振る妻の存在には気づいているようだが、無視を決め込んでいるようだった。

それでも彼女は笑顔で手を振り続けていた。

そうか、お前の家はあそこなんだね。

帰してやらないとね。

そう思って妻に目をやると、彼女は僕を見て、みゃーと鳴いた。

 

‥‥という夢を、今朝見ました。

文章化するにあたって追加した描写は油絵の具のところくらい。とにかく鮮明な夢でした。夢オチですいません。

起きてすぐに妻(本物)に報告すると、まあ、心配そうというよりは気持ち悪そうな目で見つめられました。

なぜ17歳の妻が出てきたのか。きっと、高校生の頃の妻の写真が最近出てきてリビングの棚の上に置きっ放しになっているからでしょう。

弟が小学校低学年だったのは、昨日が弟の29回目の誕生日で、彼の写真を探していたら幼少期のが出てきたからでしょう。

なぜ子猫が妻に変身したのかはよくわかりませんが、文章にしてみて気づきました。大好きな手塚治虫の短編集『空気の底』に収められている『猫の血』という話にインスパイアされている気がしてなりません。後味のわるーい作品が寄り集められていておすすめです。

夢診断とか怖いので見ません。
毎日長編の夢を見るのでフルタイムで寝不足です。

 

夢が面白いのは、脳内再生された出来事の荒唐無稽さもありますが、それ以上に、起きたあとに「多幸感」や「恐怖感」、「喪失感」などの感情だけが妙にリアルに残されることです。今回は薄ぼんやりとした過去の「喪失感」が残りました。

天才スリ師曰く、人は未来・現在・過去のことを同時には考えられないそうです。
そろそろ過去から帰ってこないと。

今夜家に帰ったら、棚の上の写真を仕舞おう。

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御苑/ウォーホル

みどりの日。無料開放の新宿御苑で昼寝して、

みどりの日。無料開放の新宿御苑で昼寝して、

 

起きて、

起きて、

 

六本木でウォーホル展を観て、

六本木でウォーホル展を観て、

 

夜は録り溜めた番組をひたすら消化。

夜は録り溜めた番組をひたすら消化。

 

明日(2014.5.6)まで開催中のアンディ・ウォーホル展に行ってきました。

僕が高1だった1996年。東京都現代美術館で回顧展があって、当時は今よりもウォーホルブームに沸いていました。ちょうどそのタイミングで高校の担任が美術教師だったこともあり、美術部に入ってウォーホル関連の雑誌を読み漁っていました。『美術手帳』とか『芸術新潮』とか『STUDIO VOICE』とか。その頃を思い出す、自分にとっても回顧展でした。そういえば最初に作品を観たのは16歳の家族旅行で行った尾道だったな、とか、2012年の転職のタイミングで行ったNY一人旅でも観たなぁ、とか。

NYで観たマリリン・モンロー。

NYで観たマリリン・モンロー。


メトロポリタン美術館は写真撮影OKでよかった。

メトロポリタン美術館は写真撮影OKでよかった。

 

「機械になりたい」と語るウォーホル。
そういうところにシンパシーを感じていたんだろうなぁ、16歳のD.T.は。

『POP ART』、『エヴァンゲリオン』、『鉄男』、『AKIRA』、『テクノ』に溺れるほど傾倒してました。
無個性、没個性に憧れる個性っていうの?‥‥恥ずかしい。
当時は中2病なんて言葉はなかったから存分に浸ることができた。
(今になってみればクオリティがめちゃくちゃ高いものに浸れたのは財産)

正直、田舎の高校生にとって鮮やかに憧れる存在だったウォーホルとその作品群に対して、今さら観に行くのもなぁ?と思って敬遠してたけど、行って正解でした。
「史上最大の回顧展」と謳うだけあって、商業デザイナー時代の作品や観たことのなかった習作、写真など、作風の変遷とウォーホルの人生をていねいにたどることができました。

 

会場の壁に書かれていた本人のこの言葉が妙に印象的でした。
気になるところは34歳になっても変わらない‥‥。

西東京のメモリー

これを書いているのは2013年8月27日ですが、
じつは長らく「下書き」として放置していました。
日付をずっと巻き戻して7月14日のこととして書きます。

 

今日、7月14日は3度目の結婚記念日。
1週間前に思い立って箱根の旅館を予約して、
付き合って13年目にして初(じぇじぇじぇ)の二人旅を敢行した。

その2週間前、僕は立川にいた。

これも急に思い立って、
1999年に上京してから7年間を過ごした
立川を気まぐれに歩き、当時ヘビロテしていた
ミスチルの『Atomic Heart』や
くるりの『東京』を
iPodで聴きながら思い出を散策。

立川は妻と出会った美術予備校がある。
立ち寄ってみたけどあいにく日曜で閉まっていた。

予備校から6年通った大学、
そして新卒入社してからの半年間の
あわせて7年半住んでいたアパートに向かった。
かつて以上に掃除が行き届いていないこと以外は
何も変わっていなかった。

友達がふざけて鍵で書いた
玄関前のラクガキもそのままだった。

ラクガキはやめましょう。

ラクガキはやめましょう。

街は駅前を中心にデパートや駅ビルが新たに建ち並び、
その代わりに薄汚い雑居ビルや違法駐輪の一帯が整理され、
ずいぶん都会になっていた。

帰り際、よく通っていた定食屋で
メンチカツを食べようと思ったけど、
店じまいされていた。

自分が訪れるよりもずっと前にそうなっていたんだろう。
なのに、突然来て、勝手に感傷的になっているのが
なんだか身勝手な気がして、そんな自分に反省した。

第二の故郷は、ほんとうの故郷とちがって
帰るべき家も寄るべき友人も何もない。
あるのは自分の記憶と友達のラクガキだけ。

 

それに比べて旅は気軽でした。
新しい場所は辿るべき感傷コースがない。
観るものすべてが新しい。

ロープウェイから見下ろす大涌谷(おおわくだに)の温泉地帯。

ロープウェイから見下ろす大涌谷(おおわくだに)の温泉地帯。

無計画に宿だけ取って
ロマンスカーで行った箱根は
妻のジャニーズ好きがおおいに役だった。

ケーブルカーからロープウェイに乗り、さらに船で
芦ノ湖を南下し、観光らしい観光を楽しめたが、
すべてHey!Say!JUMPのバラエティ番組で
八乙女くんと藪くんと石原良純が訪れたコースらしい。

藪くんまで覚えられたのも妻の影響。

デブとは言わないが出不精の妻を旅に連れ出すには、
ジャニーズの旅番組を見せてからにすればいいんだ!と
結婚4年目で学んだ。

彼女は旅先でも自分の好きなものを追っかけている。

 

僕は何を追っかけて立川まで行ったんだろう。

関根勤の妄想力

仕事帰りの妻と麻布十番でイタリアン。

仕事帰りの妻と麻布十番でイタリアン。

 

博報堂が発行している雑誌『広告』2012年1月号、コメディアン 関根勤さんへのインタビューより。

 

関根は、妄想好きとしても有名だ。

「アイドルとデートする妄想はよくやってたんですけど。最近は、妻にも妄想し始めましたよね。というのは、21年前に、家族で旅行に行った写真が娘の麻里の部屋にあったんですよ。パッと見たら、妻が35で。まあ、35というと本当に若くて、きれいで、女盛りなんですね。アレーッ、何でこんな女盛りの妻を楽しまなかったんだと。毎日眺めたり、抱きしめたり、『きれいだね』って言ったり。僕も37でそこそこ若かったんで、気づかなかったんですね。でも、ここへはもう戻れない。そのとき、ふと、待てよ、と。今の妻のことも、20年後に同じように写真を見て比べてみたら。『ああ、この頃きれいだったな。何で俺はそれを享受しなかったんだろう』って思うと思ったんです。これまでの妄想って、過去ばかりに飛んでいたんですけど、そのとき初めて自分が78歳になりまして、20年後に、未来に飛んだんですよ。自分が78歳になったという妄想で今の妻を見たら、いや、妻は若いし、きれいなんですよ」

 

感動しました。

33歳の僕は2ヶ月後に同い年になる妻を関根さんのように見たことはもちろんなくて。

自分なりに反省して、平日の夜に呼び出し麻布十番でイタリアンに興じたわけです。

というのはこじつけで、たまたま妻の会社の近くにいたから出てきてもらっただけですが。でも、こういう誰にも邪魔されないディナーが平日にあるのは悪くないし、20年後に訪れるかもしれない後悔をすこしは軽減できるかも。なんて。

関根さんは意識して喋っていないかもしれませんが、妄想ってたしかに「亡き女を想う」と書く。たとえ戻ってこない過去も、いったん未来に飛んで想えば、また現在に帰ってこれる。

というのはこじつけで、本当は「妄(みだ)りに想う」って意味だから、好き勝手に想うこと。それを一枚の家族写真から拡げること自体、とっても愛妻家なんだと思う。

そんな関根さんを見習って、ときどき未来に飛んでみることを忘れないようにしたい。

ワイフのつぶやき

妻の言うことが面白くて、よくTwitterに投稿します。
そのたびに叱られます。

「あなたは私のスポークスマンか」
「私のイメージがこれで付いちゃう」

妻はとても優しく気の利く人であることを
お断り(フォロー?)しておきつつ、
過去にツイートした中から面白かったものをピックアップします。

 

ゲイだらけの小室哲哉ナイトに参加してきた妻。「会場のスモークがすごくて、でもスモークなんて焚いてないんだよ。ぜんぶガチムチたちの蒸発した汗なんだよ。ガチムチミストサウナだよ」
(2012年12月24日)

 

リビングで「眠い…」とつぶやいたら、妻に「寝たいなら帰れよ!」と叱られたが、どこへ…?
(2012年11月27日)

 

ベンザブロックのCMに要潤が出た瞬間、「僕はアゴから」とつぶやく妻。
(2012年11月23日)

 

ティム・バートン監督『フランケンウィニー』のCMを見た妻が「腐乱、犬、か」とつぶやいた。
(2012年11月18日)

 

すごいシーンだったので妻に「テレビ見て見て!」と言ったが一切首を動かさず「むしろ見て私のこの見なさっぷり!」と返された。
(2012年11月10日)

 

先の長い議論に疲弊しているところに、渋谷で遊んでいる妻から電話。「仕事どんな感じ?」「だいぶ煮詰まっているよ…」「ふーん、でも煮詰まるって本当はいい意味のときに使うんだよ」「え」「いい議論や考えが出尽くしたって意味らしいよ本当は!だからがんばれ。私はご飯を食べに行くよ。じゃ」
(2012年10月13日)

 

ジャニーズJr.がたくさん出る某番組を見ながら「ワタシ江戸時代に生まれてたら絶対に歌舞伎と浮世絵にハマってたわ」と自信たっぷりの妻。
(2012年07月9日)

 

外で仕事する妻に手を振ったら「いいか 私とお前は今初めて会ったんだ けして話しかけるんじゃない わかったな!」ってメールが来て震えている。
(2012年4月28日)

 

奥さんの会社に、佐藤健くんが大好きな社員さんがいるという。 「最近その人に何か聞くたびに「左様か」って言われるようになってさ、私は『るろうに剣心』を観たんじゃないかと踏んでるんだけど、「左様か」って言われるたびに「そうでござるよ」って返してる」
(2012年9月02日)

 

僕「あした嵐来るって」
奥さん「どこに?」
僕「東京」
奥さん「全員で?」
僕「え」
(2012年4月03日)

 

ディオールの服を衝動買いしたと奥さんに告白したら、「アホか!ユニクロを着てもアニエスに見える男になりなさい!」と言われた。
(2012年2月13日)

 

Sma STATION!の月イチゴローで吾郎ちゃんがリチャード・ギアのことを「何の作品に出てもリチャード・ギアはリチャード・ギアにしか見えない」と言ってて、それを見た奥さん「キムタク批判かな?」
(2012年2月13日)

 

ユーキャンのCMを見た奥さん「向井理は今年もまだ資格取れてないのか」
(2012年01月2日)

 

初めて『家政婦のミタ』を見た奥さんが忽那汐里(長女)のことを「かわいい朝青龍」と言ってた。
(2011年12月16日)

 

頭痛に苦しんでいる奥さんがいよいよ「あがっ…あがっ…」って言い出したので駆け寄ったら「ドラゴンボールの物まね…」と言い残して目を閉じた。
(2011年12月10日)

 

保存料・合成着色料は一切使用していません、と謳うコカコーラのCMを見た奥さんが「使ってなくてあの味って逆に怖い!」と言っていて妙に納得した。
(2011年4月3日)

 

奥さん:「今さぁ、例え話で、もし結婚してたら って言いかけたよ。びっくりしたなぁ」
(2010年11月15日)

 

髪を切った。鏡の奥に映る台で、見覚えのある女性がカットしていた。よく見ると妻だった。初めて同じ時間に遭遇したようだ。ザクザク切られる彼女の前髪の向こうの眼が、鋭くこちらを凝視しているのが分かる。互いの口元がニヤリと歪む。美容師さんにばれないように歪みをそっと戻した、互いに。
(2010年7月19日)

思いに触れる。

恵比寿にて。

給料日明けの週末、それも日曜日にもかかわらず、
宣伝会議コピーライター養成講座の「七代目中村組」
のみなさんに、僕と彼女の結婚を祝っていただきました。

電通のコピーライター、中村禎さんから
コピーと、人としての生きざまのいろはを教わる中村組。

その七代目の同期のみなさんがお祝いパーティーを開いてくれたのです。
結婚式も披露宴もしていない僕らにとっては貴重な催しです。

大人になってからは、自分が主役になって
誰かに祝ってもらうことはもしかしたら初めてで、
しかも僕の奥さんになったばかりの人は
中村組のみんなと会うのも初めてで。

僕の中では気心の知れた仲間なのに、
妙な緊張感と「見られている」視線を
ときどき感じながら、つまり照れながらも、
とても楽しい数時間を過ごすことができました。

 

恩師の禎さんからいただいた言葉を記します。

 

「ご結婚おめでとう。
10年も付き合って、その記念日に
結婚しているお二人だから、もう
何も言うことはないんだけど(笑)、

どんな日でも、
一日一回、相手に触れてください。

どこでもいいんだよ。
これがいいんだって。
前にテレビで言ってた。
手でも、おでこでも、口でも、肩でも。

これをやんなかったから
一回離婚しちゃったんだなー、俺は(笑)
今はやってるよ。
一日一回、相手に触れる。いいらしいよ」

 

「前にテレビで言ってた」というのと「いいらしいよ」ってところが
「納豆はダイエットにいいらしいよ」みたいなノリでかわいかったですが(失礼)、
すーっと心に沁みました。この人の言うことは、実践しなきゃ。

 

奥さんは、その場にいた別の某代理店のコピーライターさんに
「御社の請求書を見てびっくりしましたよ。電通たっけ!」
とかなんとか、ざっくばらん過ぎるおしゃべりをしていて、
その様子を救われるような思いで見ていました。

 

桃のケーキにも、配膳してくださるウェイターさんにも、
なぜか迷い込んできたシャクトリ虫にも、水にも、空気にも、
森羅万象に感謝したい気持ちでいっぱいになりましたが、
なにより素敵な会を催してくれた七代目のみなさんに
心の底から感謝しています。

 

 

みなさんの気持ちに触れることができました。
ありがとうございます。