10代の通り道にスタンフィールド捜査官

先日、妻(1980年うまれ・33歳)がこんなことを言っていました。

「世のアラサー女はすべからく10代にゲイリー・オールドマンにやられてるよね!」

「うんうん、レオンのね!あの狂気じみた震えでフリスクを噛むあの表情な!」

と、大学の同級生であり漫画家の友達(同 33歳)。

え、あれ、フリスクだったの?
眠気覚まし?口臭予防?

やっぱ違うよね。

それにしてもしびれる登場シーン!!!

 

そう、おなじ80年生まれの僕も通りました、レオン。
日本公開が1995年で、翌年にテレビ放送されたとすると96年だから16歳。

居間と台所の間にあった実家ののれんを両手で優雅に開いたりしたものでした。

そんな多感な10代に観ちゃった映画は一生モノ。
一生ひきずって、こじらせていくしかないのです。

それが我々松坂世代(ただし体育会系ではない)にとっては
『レオン』であり『セブン』であり『ガタカ』であり『アキラ』。
どれもビデオテープがすり切れるほど見返しました。

声優さんのセリフ回しまで暗記したよ。
今思えば、英語で見とけばよかったよ。
映画オタクの証明以外で役に立たないよ。

My Favorite Movies

今までの人生で、

「生き様」
「映像美」
「音楽」
「女」
「エロ」
「空想」
「言葉選び」
「死生観」

など、さまざまな面で多くの影響を与えてくれた、映画たち。

そのマイ・フェイバリット・フィルム・リストを
とある場所に書きためていました。
先日、急に発掘されたので、ここに転載しておきます。

あ、その中で特筆すべき作品をひとつだけご紹介。

幼稚園だか小学校の低学年だかの頃に父親といっしょにテレビで見てトラウマになった映画。

恐怖のハエ男

昔はとんでもないB級ホラーがふつうに夜9時から放送されていたんです。
それを淀川長治さんや高島忠夫さんが丁寧に丁寧に解説してくれたんです。
怖いねえ、今ではありえないねえ、怖いねえ。

それが今現在の自分の自我や趣味を形成していると思うと感謝しかありません。

それでは、自分以外誰のためでもない映画リストです。

 

▼パッケージでも持っているほど好きな映画

『アメリカン・ビューティー』(ジャストフィット。音楽も好き)
『ファイト・クラブ』(昔見た幻覚のベースになったほど)
『ダークナイト』(2010年代の傑作)
『スターシップ・トゥルーパーズ』
『バック・トゥ・ザ・フューチャーシリーズ』(伏線の回収が最強)
『東京物語』
『告白』(中島監督リスペクト。アナ雪よりも好きな松たか子)
『太陽を盗んだ男』(原発に乗り込む話。不謹慎を遊び倒す!)
『Love Letter』(岩井監督の編集が紡ぎ出す空気感が好き)
『EVA』新旧劇場版(1997年、17歳、立川で観て震えた)
『おもひでぽろぽろ』(「く、くもり」「あ、おんなじだ」)
『攻殻機動隊』(「お前の脳、ノイズが多いな」「生理中なんだ」)

 

▼盤は持ってないけど好きな映画

『(500)日のサマー』(劇中の映画へのオマージュがたまらん)
『セブン』(無鉄砲な夫を心配しつつ献身的な妻役のグウィネスが‥‥)
『ガタカ』(チープな説明になるけど、大人のSF。音楽も好き)
『パトレイバー2』(やっぱ南雲さんだな!)
『ロボコップ』(コマ撮りアニメで動くED209に恋した)
『ジュラシックパーク』(中1、劇場で父親と見て度肝を抜かれた)
『エターナル・サンシャイン』
『ターミネーター2』(液体金属!)
『レオン』(ゲイリー・オールドマン!)

 

▼幼少期の原体験として好きな映画(今見返すと面白いかどうか不安)

『E.T.』(3歳の頃に映画館で父親と見たのを覚えている!)
『スーパーマン2』(E.T.と同時上映で見た覚えが。ビデオで20回以上見た)
『キングコング2』(6歳当時、行きたい!とねだって見た映画館デビュー作品)
『少林寺』(3歳の頃に映画館で両親と見たのを覚えている。怖くて号泣)
『スター・ウォーズ エピソード5/帝国の逆襲』(8歳くらい。暗記するほど再生)
『スター・ウォーズ エピソード6/ジェダイの帰還』(同・暗記するほど再生)
『007/リビング・デイライツ』(ヒロインに恋した)
『ゴジラVSビオランテ』(9歳。敵がカッコイイと思った最初の映画)
『帝都物語』(8歳、エログロの原体験。加藤ォォォ!)
『AKIRA』(TVで中1の頃。漫画も後から買いそろえた。鉄雄ォォォ!)
『天空の城ラピュタ』(初見は7歳くらいの時。鷲づかみに。シーターァァァ!)
『霊幻道士』(7歳くらい。学校で大流行)
『新・桃太郎』(8歳くらい。台湾映画です。ものすごい変。当時は楽しんでた)
YouTubeで見られます

『孔雀王』(10歳くらい。三上博史とユン・ピョウ!小学校の一部で流行)
『プロジェクトA』(ジャッキー・チェンは子供が通る道。エンディングの歌が印象的)
『レイダース/失われたアーク《聖櫃》』(ビデオがすり切れるほど見た)
『ネバーエンディングストーリー』(7歳くらい。ラストのバスチアンへの呼びかけが衝撃)
『ゴーストバスターズ』(7歳くらい。この頃は日曜洋画劇場が土曜の昼に再放送されてた)
『ハエ男の恐怖』(幼稚園の頃?父親がTVで見ているのを横目にみてトラウマに)
『ショート・サーキット』(ゾイド好きの子どもにはたまんない。『ウォーリー』の原型だとか)
※これ→ http://www.nicovideo.jp/watch/sm4093282
『未来警察』(サソリみたいな毒針のついたロボット兵器が怖かった)

 

以上、とりとめのない想ひで映画の話でした。

こうして読み返すと、父親からの影響というか
正しくは「父からの配給」が多いことに気づかされます。
くだらないB級作品も多いけれど、何でも自由に見てた。

ありがたいな。

あーりんPM説

警視庁のマスコット「ピーポくん」は「ピーポーピーポー」のサイレン音ではなく「People and Police」から命名されたと知るGW明け。いかがお過ごしでしょうか?

 

すこし前の話になりますが、

ももいろクローバーZ
第2回 公式ファンクラブ「ANGEL EYES」限定イベント
『誰でもカモーン!~ただしホワイトベレーの方に限ります~』

4月26日、27日、28日の3Daysに3日間、通しで行ってきました。
1日目と3日目はスタンド席でしたが、
間の2日目はアリーナど真ん中11列目という奇跡!!!

あーりん推しとしては車いすあーりんをこの目で見るまで心配で気が気でなかったですが、日を追うごとに笑顔が戻ってきて安心しました。

 

その前に、

ももクロ春の一大事2014
国立競技場大会
~NEVER ENDING ADVENTURE 夢の向こうへ~

にも、もちろん行ってきました。

1日目は聖火台のふもとから直接、2日目はライブビューイングでの参戦。
いやぁ、泣いた。泣かされた。
Perfumeの2009年代々木単独LIVE以来の号泣LIVEでした。

 

Perfumeとももクロ。

なんだか真逆の特徴をもった2組のようですが、ファンとしての僕の見る目は意外とおなじ視点だったりします。

 

Perfumeは昔からずっと、断然かしゆか派です。
ももクロは絶対アイドル あーりんノフ。

二人に共通すること、それは、ときに暴走するあ〜ちゃん(Perfume)や、つねに暴走するももたまい&れにちゃん(ももクロ)の隣で、ちゃんと押さえるべきところを押さえ、滞りなく進行する俯瞰的な視点を持っていること。

コンサートでどんなにハイテンションになっても、うまーく話のオチをつけたり、タイムキーパーになったり、大物司会者が共演者の名前をど忘れして詰まったときにとっさに名前を読み上げて助け舟を出したり。みんなで入った定食屋で冷や奴が出てきたのに醤油がないと気づいてすぐに空席のテーブルから取ってきたり、打ち合わせで上司がポケットをまさぐる様に気づいてさりげなくペンを渡したり。

冷や奴とペンは見たことないけど絶対やるでしょ、と思わせる縁の下の信頼感。彼女たちの、常に全体を見ているところに「あゝ、さすがだわ」と感銘を受けるのです。

 

言ってみれば、PM視点を持ったアイドル(Perfumeだって昔はアイドルだったんだよ息子よ)。

PM(プロジェクトマネージャー)。
進行管理です。この人がいないと仕事が回りません。
かしゆかとあーりんはPMだったのです。

では、他の人は何なんでしょう?かなり強引に、一方的に役割を割り振ってみます。

あ〜ちゃんと高城さんはCD(最近めっきり売れなくなった円盤じゃなくてクリエイティブディレクターの方。グループの性格を決定づけるコアですね)、ももたまいはアクティブな営業かな(外からお仕事を持ってくる人ですね)、有安さん‥‥もPMかもしれない。いや、人見知りが激しいけど細部までプロフェッショナルな仕事でクオリティアップを担うプログラマーか?ど天然なのっちはビジュアル面を押し上げ、ダンスのキレでグループを牽引するデザイナー?

書いていてだんだん苦しくなってきました。
どだい、ももクロとPerfumeのメンバーを混ぜて分類しようとすること自体が間違ってる。例えばしおりん推しの会社の後輩に言わせれば「全体を俯瞰的に見てちゃんと進行しているしおりんに感動します‥‥っ!!!」とのことで、あーりんPM説は彼女の中ではそうじゃないわけですね。そもそもファンというのは「ひいき目」と同義なので、ここで「そうじゃない」と争うつもりはありません。僕には僕の、人には人の、乳酸菌。

 

立川・フロム中部の屋上「国立川」公開最終日に行ってきました。

立川・フロム中部の屋上「国立川」公開最終日に行ってきました。

壁一面にモノノフからのメッセージ。

壁一面にモノノフからのメッセージ。

 

そんな話(かしゆかとあーりんはグループにおけるPMだと思う!)を、アイドルグループを自らプロデュースしているSCRAPの吉村さんに熱く語ったところ、

あーりんPM説、なるほどです!私はアイドルグループにはまる前はベンチャー企業にはまっていて、ベンチャー企業というチームがどのように成長していくかをインタビューしていくblogを書いていたのですが、まさに「最初はお互い知らない者どうしだった人間が同じ箱に入れられて、目標に向かってそれぞれの役割を果たしながら頑張って行く様」が好きなんだと思います。それはアイドルにも企業にも なんだったらスポーツ団体にも通じるところで、きっと頑張っている人を応援しながら自分に喝を入れる応援フェチなのでしょうね。

今自分で動かしているアイドルグループ内でもよく「あなたは広報」「あなたは営業」「あなたはブレイン」等と企業にあてはめて話をするようにしていますし、新メンバーは「いまうちの団体に足りない役職」目線で選びますし、何を言いたいかというとあーりんはきっと優秀なPMだろうしブログ楽しみにしていますし、これからも(ドルオタとして)よろしくお願いします。

という嬉しいコメントが!

そうなんだよな。

団体のなかで役職というか役割をみつける。
それは持って生まれた性格によっていつの間にか築かれたものかもしれないし、グループの中で自分の得意分野やグループに欠けているものを意識して自発的に突き進んでいくものかもしれない。プロデューサーに与えられる場合もあるでしょう(最初はとくに)。成長するにつれて役割が変わってくる場合もある。

そういう意味では、Perfumeは完成されたフォーメーションを感じますが、ももクロの中では「みんなの妹」しおりんの「姐御化」が今いちばん見所かも。と思いつつ、その話は長くなるのでまた今度。

写真との付き合い方

「写真を撮る」ということは、

「ものを見る」ということでもありますし、

同時に「時を刻む」ことでもあります。

ですので、そこに流れる時間が、

それはたとえ「一瞬」という短い時間であったとしても、

その時間が、一枚の写真の中において、

長ければ長いと感じることが出来るほど、

もしかしたらその写真の中には、

大切なものが「写っている」

ということなのかもしれませんね。

そしてきっとそれこそが「いい写真」の証なのでは、

と思ったりします。

そんな写真を、より大切なものとして残しておくために、

まずは一度、だまされたと思って、

お気に入りの一枚を、

しっかりとプリントしてみてください。

すると、きっとその写真は

今まで以上に、もっと大切な写真になるはずですよ。

ほぼ日刊イトイ新聞『写真がもっと好きになる。』より)

 

これ、本当にそう思う。
写真は時間を形にすることができる。

思い出はハードディスクの肥やしにするんじゃなくて、ちゃんと形にしてあげたい。

 

写真を撮る枚数がちょっとばかし増えました。

数年前に比べてオフの時間が増えたということでもあるし、
仕事でも撮りたくなる現場が増えたということでもある。

旅(というか遠征?)に出ることも増えて、
Perfumeだけじゃなくて
ももクロも追っかけるようになって、
移動距離のぶんだけ“写欲”が復活してきたのを実感。

そして、ただ撮るだけやFacebookにシェアするだけじゃなくて、
プリントしてみることも再開しはじめました。

再開というのも、
大学時代は写真を専攻してたので、
自宅に暗室を構えたり、
MAXARTというプロ用プリンタを持っていました。

今以上にプリントアウトという行為が当たり前の時代。

学生時代の写真。ペンタックス67(ロクナナ)という中判カメラを愛用してました。

学生時代の写真。ペンタックス67(ロクナナ)という中判カメラを愛用してました。

それが今ではA4サイズのスキャナ内蔵カラリオ。

でも、ちいさなL判でも形にすることが大事なんだと思います。
作品づくりとかじゃなくて。
シンプルに1冊のアルバムにしたい。

気がつけば5月。
3ぶんの1が終わっちゃいました。

今年の写真、今年のうちに。

チームPerfume / テクノロジーで“想い”を身にまとう

昨日、全国ツアーが発表されたばかりのPerfumeですが、昨年の夏に河尻亨一さん主宰のもと出版された『クリエイティブ手帳』に寄稿したPerfumeに関するコラムを掲載します。

 

私たちは Perfume
ここに来た
日本は遥か東 出会うために
世界と 私たちと みんな
ここに立つ
日本とつながって 伝えるために
世界に

2013年6月20日、Cannes Lions 2013での電通によるプレゼンテーション「Happy Hacking: Redefining the Co-creation Frontier(ハッピー・ハッキング:共創の最前線を再定義する)」でゲストとして迎えられたPerfume。冒頭の言葉は、世界中から集まった4,000人もの広告関係者が見守る中、メイン会場であるグランドオーディトリアムのステージから世界に発した彼女たちの挨拶(メッセージ)である。

厳かな雰囲気から一変し、小刻みなビートと衣装に映し出されるプロジェクションで始まる『Spending all my time』エクステンデッドミックス。この模様はCannes LionsオフィシャルYouTubeでも全世界に生中継され、世界へのお披露目となった。

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日本で固唾を呑みながらモニタにかじりつくように見ていた僕・・・・を含めたTwitter上のPerfumeファン(Perfumeクラスタ・通称 パフュクラ)は「いいぞいいぞ!」と、まるで甲子園に出場した母校を見守るかのような緊張と連帯感をタイムライン上で共有していた。しかもプロジェクションマッピングで3人の全身に投影されていたのは、サイバー部門でSILVERを獲得したグローバルサイトに集約されたファンからのツイート。僕のタイムラインでは「俺もカンヌデビューw」というツイートも見られた。

冒頭の「日本とつながって」を体現したこの粋な演出こそが、2010年よりPerfumeのLIVEアクトの演出を手掛ける真鍋大度氏(ライゾマティクス)の真骨頂だと思う。これまで数々のテクニカルなアプローチから、ファンとの間に物語を紡ぎ出してきた。メンバーのあ〜ちゃんはこの日のことを

「みんなの想いでPerfumeはつくられているんだっていう、前々から私が思っていたことを形にしてくれた」

と、後日ラジオでしみじみと語っていた。

perfume01ここで「Perfumeグローバルサイト」について触れておこう。世界展開にあたって、ワールドワイドに自己紹介する拠点として生まれたWebコンテンツにもかかわらず、肝心の彼女たちの顔写真やアートワーク、PVなどは一切ない。不親切なほどに情報がなく、あるのは中田ヤスタカ氏のバキバキのBGMと、それに合わせて踊る3人の3Dモデリング映像のみ。

当初は、ノンバーバルな世界観の中で最小限の構成に絞り込んだ「記号としてのPerfume」をキャッチーかつミステリアスに体感してもらうことが狙いなのかもしれない(海外ファンにはYouTubeという強力な補完サービスがあるし)と思ったが、実はそうでもなさそう。

perfume02いつでもつながれるオンライン上の「ステージ」は、公開時からツイートを集積してビジュアライズする機能を持っていた。ティザーサイトは専用ハッシュタグでツイートすることで3人の3D CGによる全身像が浮かび上がる。それはハイコンテクストな「ファンレター投稿」。さらに3人の3Dデータをダウンロード可能とし、コアなファン(でありクリエイター)たちによってさまざまなテクスチャーで踊るダンシングビデオが作られたり、3Dプリンタで3人のフィギュアが作られたり。もはや「海外への自己紹介」としてのグローバルサイトではなく、3人とファンをつなぐプラットフォームになっている。ノンバーバルな顔して、言葉を集積する装置だったのね。

この一連のプロジェクトはふつうに彼女たちの音楽を聴いて応援するライト層にとっては敷居が高いと思われるが、真鍋氏には「あえて少し挑戦的なアプローチをする方が受け入れられる」という思惑があったという。「つくれるファン」への過剰サービスに、「つくれるファン」は過剰に応える。それが世間一般でのPerfumeのブランディングにもつながっている。超不親切で、超親切。ひとことで言えば、尖ってる。

やがてサイバーな「場」に集まったファンの言葉やアクションは、LIVEのプロジェクションマッピングによって3人の生身の体に“還元”される。それは本人たち自らが「想い」を身にまとった瞬間だった。カンヌのサイバー部門でSILVERを得たグローバルサイトは、その賞を授与されたレッドカーペットの先にあるステージで完成したのだ。

そんな粋で手の込んだ演出を下支えする技術もすごかった。舞台袖からリモコン制御で5回も変形させていたという衣装や、正確かつ俊敏に踊る3人の全身とリンクするプロジェクションなど、開発と実証、リスク回避策まで練られた装置をたった2ヶ月で準備したというのだから脱帽。まじで。

当日の舞台裏を真鍋氏自身はこう振り返る。

「当初与えられたセッティング、キャリブレーションの時間は始まる直前の15分間のみ。メンバー3人は本番までステージに立つことは許されずぶっつけ本番でやるしかないという非常に厳しい条件で、さらに彼女達は大阪でライブを終えてすぐに渡仏してライブという過酷なスケジュールでした。当日の会場のセットも、その日まで分かんなかったもんね(笑)。 」

『Perfume at Cannes Lions! 真鍋大度&菅野薫が、共創の最前線“ハッピーハッキング”の想いを語る』より)

そんな裏方の苦労はみじんも感じられず、ただただ彼女たちのパフォーマンスは日本人ならではの「所作」と呼びたくなる優雅さにあふれていた。真っ暗なステージに浮かび上がるカラフルなグラフィックは万華鏡のようで、直線の美しい純白の衣装は折り紙のよう。複雑に折りたたまれ、リモコン制御で動くプリーツは現代版の歌舞伎の早替えである。決して単純に海外受けを狙ったものではないだろうが、「そう見てしまう」自分がいる。Twitterではすぐさま3人の衣装をキャプチャしてギミックを紹介してくれる人までいて、ありがたい。

 

たった8分間ながらも強烈なビジュアルを披露したLIVEは、Perfumeの個性の一部を象徴的に切り出して幕を閉じた。

「今までできなかった、MVとかの映像の中だけで合成していたようなCGとかが、ライブで見せられるようになったのは、三人だけで立つステージに無限に幅が広がったなと思います」(『Switch』Vol.31・かしゆか)

「大度さん達がいなかったら、こういう前衛的なことをしてるグループには絶対見えなくて。だからPerfumeのかっこいいイメージをつけてもらってます」(同・のっち)

広島出身の、売り出し方を秋葉原あたりで彷徨うアイドルから一転、中田ヤスタカプロデュースにより「テクノポップユニット」としてオリジナルの位置を不動のものとしたPerfume。もともと肉声をヴォコーダーで変換されることで注目を浴びたテクノポップユニットは、LIVEパフォーマンスやファンとの接点でもテクノロジーを武器にすることで飛躍した。とまとめると3人がロボットのようだが、ロボットのように振る舞える肉体と表現力、それに相反するチャーミングな人間性に引き込まれる。って、完全にファンレター投稿になってきたぞ。

チームPerfumeのHappy Hackingは、これからもさらにHappyな世界を私たちに投影してくれるだろう。すべての想いをインプットし、その身にまとって。

(2013年8月31日寄稿のテキストに加筆・修正)

 

そして今。

昨年10月に発売されたアルバム『LEVEL 3』を引っさげて東京・大阪の2大ドームで行われたツアー Perfume 4th Tour in DOME 「LEVEL3」 (初回限定盤) [Blu-ray] は必見です。これについてはまた今度じっくり書きたい。

計画性のない元美大生のキャリア設計

「美大生が社会人になるってどゆこと?就職ってすべき?好きを仕事にするってできるの?‥‥大丈夫、病気で休学したり単位が足りなくて留年したりした先輩もなんとかやってるよ!みたいなことを、お前の言葉で伝えてほしい」

ざっくり言ってそんな用命がS教授から来たのは、2013年7月のことでした。

身の丈の身の上話ならできます、ってことで9月に新宿の椿屋珈琲で打ち合わせ。学生時代にお世話になりっぱなしだった教授と会ったのは何年ぶりだろう。クラスメイトと結婚したことを報告せずにいた不義理を詫びるも、先生は終始笑顔。昔と変わらず福山雅治よりも低い美声に、おのずと背筋が伸びる。

聞けば講義の日程は11月。まだぜんぜん時間ある〜。と思って2ヶ月ほど何もせず、パワポに言葉をまとめたのは前夜でしたが、気がつけば78ページの大作ができあがっていました。

 

11月19日、母校の武蔵美で講義。

『キャリア設計基礎』だったかな?150人くらいの後輩たちを目の前に90分間、自分の学生時代から現在のキャリアまでを話しました。

スライドの一部。質問はTwitterで受けるようにしました。

スライドの一部。質問はTwitterで受けるようにしました。

おおまかにはCINRA.jobさんでインタビューしていただいた内容とかぶることも多いけれど。まずは、今の仕事が学生時代の「制作」と同じで「実験」の要素をはらんでいるスリリングな内容であることを、具体的な事例を通して(話せる範囲で)話しました。

美大の制作と似ていると言いつつも、それは単純な創作活動ではなく経済活動でもあること、学生時代には有耶無耶にもできた「納期」や「事情」の存在、そして「課題解決」のためにやる仕事であることなんかも、しっかり押さえながら(この辺の話をしていると自分で自分に説教しているみたいでつらい‥‥)。

さまざまなプロフェッショナルたちの力が結集して、実現不可能と思われていたことが具体化される。その醍醐味は武蔵美にいた頃の創作とは比べものにならない規模感とスピード感。スリリングで楽しい。

けれど、学校の12号館に籠もってみんなに手伝ってもらいながらつくった作品だって、小宇宙の中で果てしなくスリリングで楽しかった。あれは逆に「卒制」という独特な時間軸の中でたっぷりと試行錯誤できました。何度も何度もやり直しながら、無駄を踏みながら、自分なりの切り口で自分なりの美を形にできた。時間をかけることが仕事だったと言ってもいいかもしれません。今となってはその時間が財産。

卒業制作をまとめたポートフォリオ。

卒業制作をまとめたポートフォリオ。つくったのは、3メートル四方の水を張ったスクリーンに映像と静止画を投影するインスタレーション

 

仕事の紹介をしたあとは、武蔵美で僕がどんな風に過ごして「広告」や「インタラクティブ」という進路に出会ったか?について。

もともと高校時代に『広告批評』と『ACC CMフェスティバル』に出会い、大貫卓也さんに憧れていた自分。一浪して入った大学で大貫さんの講義を聴講して大興奮し、CM論という授業で元電通の小田桐昭先生と出会えた。小田桐先生の授業の中で岡康道さんに心酔した。中島信也先生の授業で「おもろい大人がいっぱいいる」ことに未来が明るく感じられた。

大事なことは「心の師匠を複数人もつ」。

(ここで『プロフェッショナル 仕事の流儀』風にピアノでぽーん!と鳴ってほしい)

僕自身でいえば、この講義を依頼してくれたS教授と、前述の小田桐先生。

ポイントは「複数人」です。ひとりの大人に傾倒するのは、自分に幅を持たせる意味では逆行しちゃうから。指針がたやすくぐらついてしまう若いうちだからこそ、心の師匠はひとりに絞り込まなくていい。ドハマりするけどちょっと浮気性、くらいがちょうどいい。と思います。

さらに言うと、(僕はなんだかんだで6年いたけど)4年間で追求するテーマもひとつに絞り込むんじゃなくて、ふたつの間を行ったり来たりするくらいが逆に深みを与えると思う。僕の場合、映像学科で写真を専攻し、写真をギャラリーで展示したりWeb上で毎日アップロードしたりする表現行為と、好きだった広告の世界が重なり合ったところに、将来的な行き先となった「Web広告」、「インタラクティブ広告」がありました。

その進路決定は行き当たりばったりで「キャリア設計」などという明確な指針は皆無。でも足場を二つもつことでいい迷いが得られたんだと思います。写真家になるのか?なりたいのか?広告制作者になるのか?なりたいのか?僕なりに迷うことができた。写真をやる中でWebにアップしたり、その写真が海外の人から感想をメールでもらえるようになったり、宣伝のために始めたBlogに反応があったり、そういう経験の先に「あるお題を達成するために、コミュニケーションで人を動かす」というテーマが待っていた。それが飯の種になった。そんな感じです。

だけどそれも振り返ってみて初めて、点と点がつながって見えてきたこと。渦中にいる学生時代というのは気づけないものです。気づくのは後でもいいから、超めぐまれた今の環境を使い倒しておくれ!‥‥老婆心で話しました。ま、そんなことは、外からなんと言われようが、卒業してみないと分からないんだけど。

 

僕のいた映像学科では、3年生の冬に学科全体で「進級制作展」という卒業制作のプレみたいなイベントがあります。
広報の責任者になった僕は、今見たらどうしようもなくしょぼい公式サイトを作り、90人の同級生から作品タイトルとコメントと顔写真を集めてパンフレットも作り、学内に貼るポスターも友達とデザイン。その作業の中で、大事にしたことが2つあります。

ひとつは、パンフレットのプロフィールは必ず顔写真を掲載すること。

シャイボーイ、シャイガールの多い美大です。晒すのは顔じゃなくて作品だろう、と考える人が多い美大です。案の定、顔写真なんてアルバイトの履歴書以外で提出したくないと言い出す人たちも少なくなかったけれど、伏し目がちでもシルエットでもいいから、写真であることにこだわりました。

理由は、卒業後にふとこのパンフレットが部屋の奥から出てきたときに「時間の経過」を感じてほしかったから。卒業アルバムのように。それにはイラストじゃなくて顔写真がマストです。進級展の図録にそんな機能は不要といえば不要ですが、ただ必要に迫られてつくる、というのがイヤだったんだと思います。

もうひとつは、お客さんの導線をリアルタイムに修正すること。

人の流れが悪いところを見つけては、案内板を毎日つくって問題の箇所に貼り出していきました。当時は佐藤可士和さんの「行動デザイン」という言葉にシンパシーを感じていたので、「行動をデザインするんだ!」と鼻息荒くやってました。今の仕事でやっている修正作業となにひとつ変わらない。

展示を「運営」の側から関われたことが、今の広告業をする上での下地になっているのは間違いないです。

 

最後に。

大学という場所は、20歳そこそこの人間にとっては吸収しきれないほど恵まれたモノやコトやヒトであふれています。その環境の中で、あとの人生を運命づけるほどの原体験をどれだけ得られるか?

同じ環境にいても在学中からアーティストとしてデビューして名を馳せるカリスマくんもいる。今はTwitterやSNSでつぶやけば世界に作品をUPできる。その開かれたフィールドで「いいね!」をたくさんGETしている「友人」を見て焦る必要はないと思います。数値に換算できなくても、分かりやすい形で目に見えなくても、親は説得できなくても、原体験は今も体験中かもしれない。大事なのは「自分と対話すること」。うわー、まじめだ。

 

12.jpg

 

なんでも効率化が叫ばれる今の時代に、
親に土下座して高い学費を払って
美大なんてところに来てしまったあなたに。

Instagramやお絵かきアプリでオシャレな写真やイラストが
誰でも「作れる」時代に、それでも自分でなにかを
作ろうとする殊勝なあなたに。

この先、自分の「強み」や「好き」を発揮する場所は
想像以上にいくらでもあること、なければつくればいいこと、
そのために今、原体験を得ること。

そのために、大学へ「通う」こと。

以上を、休学と留年をしたダメ先輩からの贈る言葉とします。
来ている人たちに言っても意味ないんだけど。

90分間も得体の知れない人間の話を聞いてくださってありがとうございました。

 

追伸。

当時公開中だった映画のイ・ビョンホンみたいな写真が撮りたい!と言って撮った一枚。

当時公開中だった映画のイ・ビョンホンみたいな写真が撮りたい!と言って撮った一枚。

久しぶりに訪れた母校のゼミ室で、進級制作展のために撮った自分のプロフィール写真のコピーが貼られているのを発見。

10年前の自分とまさか対面するとは‥‥。
「時間の経過」を感じずにはいられませんでした。

てか、誰が貼ったんだ‥‥。

やさしくてノリの良い友達に恵まれてたんだなぁ。

さようなら、天野祐吉さん。

全10回だったかな、とても濃いお話が、天野さんの、あの柔らかな声でつづきます。
2006年頃の対談ですが、もう何遍も見ています。

 

2013年10月20日、コラムニスト・天野祐吉さんがお亡くなりになりました。
訃報を知ったのはその日の深夜。
僕はいち読者でしかありませんが、翌日は仕事が手につきませんでした。

TwitterやFacebookで、いろんな方々が、学生時代の『広告批評』との出会いや、天野さんの講義で受けた影響が今の広告人としての自分を形成している‥‥と語られています。僕もそのひとり。17歳。さかのぼれば16年前。

美大受験のために田舎から1時間半かけて松山の美術予備校に通っていました。県でいちばん大きな、紀伊國屋書店にしか扱いのなかった『広告批評』と出会ったことが、僕の人生を決定づけた。最初に買った特集は『非力本願』という号でした。田中麗奈の『サントリー なっちゃん』や『TRAVELING』がヒットし、ペプシマンや多田琢さんのCMが華やかに流れ、ナイキの広告がいちいちかっこよくて、キンチョウの「つまらん!」にガツン!とやられてBOSSを飲んだ時代。

17の田舎の若造に、広告をたんなる流れゆくものではなく観察物、ユーモアのある創作物として見るための手引きをしてくれた人でした。ACCのCMフェスティバルに行ってみたり、『大貫卓也全仕事』を買ってむさぼり読んだり、朝日新聞のCM天気図を楽しみに月曜日を待ったり、したものでした。

大学に入り、1度目の3年生と2度目の3年生のときに『広告学校』に通い、そこで「生の天野さん」と出会います。生野さん、じゃなかった、生の天野さんはあの柔らかな声なんだけれども、テレビで見るよりちょっと辛めの発言と、厳しい目つきで。

それから7年ほど経って、天野さんのBlogでたまにコメントさせていただき、コメント欄で会話させてもらったことも。いま考えれば、すごいなぁ。その流れで『広告批評』元編集長の島森路子さんのインタビュー集の書評を書かせていただく機会も得ました。ご本と、直筆のお手紙は今でも宝物です。

 

冒頭と同じ対談の中で、こうも仰っていました(うろ覚えですが)。

「広告のコミュニケーションって、俺も馬鹿だけど、あんたも馬鹿だねぇ。っていう距離だと思うんですよ。俺は賢いけど、あんたは馬鹿だねぇ。だと誰も聞いちゃくれないでしょ?俺は馬鹿だけど、あんたは賢い‥‥もへりくだりすぎている。俺も馬鹿だけど、あんたも馬鹿だなぁっていう距離感がね、大阪の広告は上手いんです。そういうのに憧れますよね」

俺も馬鹿だけど、あんたも馬鹿だねぇ。

この目線で、広告を通して時代を批評していたのが、天野さんなんだろうなぁ。
愛だなぁ。

11月4日の午前9時5分から、NHKで追悼番組があります。
もちろん、見ます。