2003→2013 生きてます。

休みが長いと私事ばかり書いてしまうのは僕だけじゃないようです、いろんなBlogを読んでいると。プライベートに割く時間が増えるぶん社会との接点が減ることと、お正月はふだん会う人と会わなくなったり帰省したりするから内省的になるんでしょうね。自伝を書くなら正月休みがぴったりです。

 

で、私事ですが2013年はBlog更新歴10周年の(僕だけの)記念すべき年です。

10年前の2003年はBlog黎明期でした。TwitterやFacebookはもちろん、YouTubeもGmailもない時代、Blogは文明開化の音がする新しいツールでした。個人がメディアを持てるすごいツールだ!ともてはやされ、数々のBlogサービスが雨後の筍のように誕生したものです。

apple_powermac_g4Photoshop 7がCS1になったばかり。Power Mac G5というモンスターマシンに256MBのメモリが積まれていた時代です。僕は2000年に父から大学の入学祝いで買ってもらったG4を使っていました。

「美大生はアレか?Macintoshか?」

Windows95に興奮し、自作PC作りを趣味とする父にはMacは「生ぬるいスカした野郎」だったかもしれません。なのに美大生=Macというまったく間違っていない固定観念をどこから入手したのか、当時42万円もしたMacをねだることもなく買ってくれたのでした。母は反対してましたが。

2003年頃の自宅アパート。書棚には『広告批評』とアラーキーの写真集と椎名林檎のCD。

そのポリタンク型のPower Mac G4 500MHz(iPhoneよりも低スペック!)を相棒に、630万画素のEOS 10DとPENTAX67という2kg以上する中判カメラを持って作品作りに没頭していました。写真を趣味とする人にありがちですが、機材だけは一人前でした。資金繰りが大変だったので居酒屋やテレアポのバイトで汗を流してました。

大学(武蔵美)では映像学科で写真を専攻していたので、立川のアパートに暗室も作っていました。フィルムカメラとデジカメの両方を行ったり来たりしながら、そもそも写真家になりたいのかそうでないのかを決めかねずにシャッターを切る毎日。

2003年〜2004年頃の習作(デジカメと中判カメラが半々)

グループ展なども開いていましたが、日々の発表先として「Webサイトを作りなさい」という課題が、デジタル写真を写真家業として先駆的に取り入れた写真家・小林のりお先生の授業で出ました。

小林のりお先生「デジタル写真基礎」(大学3年時)

Dreamweaverを使って先生のソースコードを見よう見まねでサイトを作り、Photoshopでリサイズした写真をアップする。画面に出る。他のマシンでも出る。すごい!世界に発信されている!
いま思えば、これが僕のWebとの「作り手としての」最初の出会いでした。

 

さて、前置きがずいぶんと長くなりましたが(今までのは前置きだったんかい!)、写真を発表するため「だけ」に作られた個人サイトにBlogを付けたのは、親からの要請があったからなのです。実はこの1年前の2002年、22歳の僕は大病を患い1ヶ月以上入院していました。

病床からパチリ

抗がん剤ほどの副作用をもたらす注射を毎日打ち、眼の裏側の毛細血管が出血することで起こる失明の不安におびえながら、みるみるうちにベッドから立てなくなるほど体力を奪われました。髪の毛が抜けなかったことは幸いでしたが、治すための薬で身も心も衰弱するとはどういうことだ?と天井に訴えかけていたことは今でも忘れられません。

そんな、人生でいちばん辛かった夏。最初の外出許可が出たときに、いまの妻と青山ブックセンターに行ってTUGBOATのトークショーに参加したのはいい思い出です。タクシーから降りた瞬間にぶっ倒れてしまいましたが。写真家という漠とした将来像とは別に、広告の世界が常に輝いて見えていました。

 

1ヶ月を超える入院期間を経て通院に切り替わったその年の冬。大学には休学手続きを出し、みんなが大学に通っている間に雑誌『広告批評』が主宰する「広告学校」に通ったり、妻(になる人)の作品作りの手伝いをしたり、写真を撮ったりしながら悠々自適の生活を送っていました。今度は天井ではなく空に向かって自由と健康を謳歌していました。

ところがある朝、週3回に減らした薬の副作用がどっと噴き出し、ラッシュアワーにとある駅のホームで倒れて線路に落下。

正確には副作用が精神に作用し、まるで操られるかのように明確に「死のう」として飛び込んだのですが、頭の中では走っていたはずの電車は走っておらず、近くにいた3人の方々に助けられました。

その当時の出来事はかなり克明に覚えていますが、あまりにもネタが豊富にあるので、詳細は別の機会に書きたいと思います。親戚から「小説として出版したら」と言われるほどの数奇な体験をしましたが、ハッキリ言えることは、自殺未遂はすべて副作用のせいであり自分の意思ではないということです。事実、この薬によって年間数名の患者が自殺しているという記事も入院中に読んで知っていました。

話を戻します。

文字通り奇跡的に助かりましたが、副作用は抜けきれず警察に運ばれ、取調中に気絶し今度は救急車に運ばれそのまま入院。見知らぬ病院でなんと20日間の混迷状態を彷徨い、ようやく「生還」しました(このくだりだけで30ページは書ける自信あり)。

自分の息子が20日間も目を覚まさなかったってどんな心境だった?と後になって母に聞いたところ、母は僕が植物人間になることも覚悟しろと宣告されていたそうです。そりゃそーだよね、長すぎるもの。

話を飛ばします。

 

死の淵から蘇った翌年、また3年生として復帰。そしてデジタル写真基礎というデジカメとDreamweaverを使う授業に繋がるわけです。

自分の写真を誰にでもなく気軽に公開する場を得た僕は、それを田舎の親に見せようとWebサイトの存在を知らせました。その時、Blogを書いたら?と提案されたのです。理由は「生存確認」。ドライな言い方をするとそうなります。ただ写真をアップするだけじゃなく、日々の出来事を書いてくれていれば安心する。そう考えたのでしょう。もともと日記は小学生の6年間ほぼ毎日欠かさず書いていたので、抵抗もありませんでした。

まだまだ未熟です。

分からないことと知らないことが混在しています。

分からないことを明らかにするために、日記を書くことにしました。

Die Another Day
別の日に死ぬ

「今日はまだ死んでない」という意味らしい。

まだ生きている間の日記。

生きている間のことを、書こうと思う。

書き始めた頃の文章が妙に暗いのは、まだ自分を幽霊かゾンビのように思っていたからかもしれません。これでは親は余計に心配しそうです。

 

よく「Blogの集客力をアップさせるには、1テーマに絞り込み、タイトルは内容を15文字程度で要約し、読者の役に立つことを書くように心がけよ」などのTipsがブロガーさんから発信されますが、僕のは事の発端からしてこんな感じなので、テーマもバラバラ、タイトルも不親切、役に立つこともナシです。心がけていることといえば、専門的なことは砕いて書く。なるべく親でも分かるように。

何ヶ月も更新しないときも何度もありましたが、とりあえず10年目。これからも「生きている間のことを、書こうと思」います。

 

追伸。おかげさまで身体はすこぶる健康です。この正月は帰省せずにすみません。

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