すてきなソース

前の会社の後輩で、現在mountにいるデザイナー、長谷川弘佳ちゃんに声を掛けてもらってコピーをお手伝いした本が完成しました。

sauce

arigato Inc. presents ART & Recipe BOOK
東京 西麻布フレンチレストラン Les Rendez-vous de Tokyoの アートレシピ本。 イラスト、デザイン、編集は 長谷川弘佳さんによる 簡単に作れるし 見て手に取るのもうきっとする素敵な1冊です。(Amazonの紹介文より)

ソースをテーマにした美しいレシピ集です。
まだ見ぬ新たなソースを求めるシェフの冒険、という世界観で書きました。
絵本のように読むことも、画集のように見て楽しむこともできます。

 

日曜日、出版記念パーティーが開かれました。
写真は、アートディレクター・長谷川弘佳と、Les Rendez-vous de Tokyoのオーナーでこの本の発起人の綾乃さん、そしてそのお二人を繋いだ、スープストックトーキョーやPASS THE BATONを展開する遠山正道さん。

74327_518955311468120_1975042511_n

あれは2011年の春。大きな仕事で一週間会社に泊まり、ぎりぎりの精神状態でクライアントから没をくらって二人で大泣きした2年前からしてみれば、こんな素敵な本を誕生させた弘佳さんの成長には別の涙を誘うものがありました。

正直、すこしは「はじめての紙の仕事」らしい若葉マークっぷりが出ちゃうのかなと思っていたら、ぜんぜん。プロの仕事でした。そして、なにより作り手の愛情が感じられる本です。そういう体温のあるものに関わらせてもらったことに感謝です。

sauce_open

SAUCE

ちょっと高いですが、いい本です。

Everything Is A Remix

 

1999年に公開され一大ブームを巻き起こした映画『マトリックス』が、どんな映画作品を“Remix”してきたかをまとめた映像です。編集うまいなー。

監督のウォシャウスキー姉弟(兄は性転換手術をしたとか)は公開時にも「AKIRAや攻殻機動隊の影響は計り知れない」という旨をインタビューで答えていましたが、注目すべきはその再現性。中には「これはちょっと言いがかりだろ」と突っ込みたくなるものもありましたが、こうして並べてみるとやはり映画オタクが作った映画だったことを改めて思い知らされます。きっと頭の中に膨大かつ詳細なライブラリーがあって、そこで文献を漁りながら自分のジャンルの論文を書いている感覚なんだろうな。

 

以前、ももいろクローバーZのプロデュースでおなじみのヒャダインこと前山田健一さんが何かのインタビューで

「僕らはサンプリング世代だと思ってるんです」

的なことを話されていました。「僕ら」とか「世代」とかじゃなくて、自分自身についてだったかな?ちょっとうろ覚えです。

「大量の音楽データ、メロディやアレンジ、ビートが頭の中にストックされていて、そこから組み合わせを考えるだけ」と。『猛烈宇宙交響曲・第七楽章「無限の愛」』などを聴けば、めまぐるしい変調の中にこの人のストックの多さアレンジの妙を垣間見ます。

そういえば『新世紀エヴァンゲリオン』の庵野秀明監督も同じような趣旨のことを話されていたのですが、出典がないものを書くのは危険ですね。でもどこかで読んですごく納得したんです。

「自分にはウルトラマンが原体験としてあった」ということや、ウルトラマンの実相寺監督の「実相寺アングル」が多用されているのは言うに及ばず、最新作の『ヱヴァンゲリオン Q』では自分の過去作品ですらトレースしちゃってますからね(ネタバレになるので分かる人だけ察してください)。トレースという言葉はあえて使いましたが、表現者の魂としてそこにあるのはオマージュだと思います。自分を超えた作品そのものへの。

 

優れたクリエイターほど脳内ライブラリーが豊富で、オタクで、勉強熱心。
もっとインプットしなきゃ、という思いで今日もももクロのPVを見ています(嘘)。

つづきの話のプロローグ

きのうUPしたエントリーが思わぬところで褒められ、ちょっとうれしい。久々に長文を書いた気がします。

やはり、物騒な話なのでここまではっきり書くことは長らくためらわれました。10年もかかってしまった。

駅のホームから飛び降りてなお生きている。
20歳を過ぎていましたが、その経験は以後の人格形成に大きな影響を与えました。
僕の中では「第二の人生」は22歳からなのです。

自分の意思ではなくても人は死に吸い寄せられ、行動を起こしてしまうことがあるということ。黒沢清の映画のようなことは起こりうるということ。

支離滅裂な行動はすべて自分が過去に見てきた映像をバックボーンに瞬時にストーリー化されるということ。『ファイト・クラブ』、『ウルトラマン』、NHKのニュース映像。どんな錯乱状態でも人はストックされたイメージからストーリーを作り出して行動するということ。

20日間の混迷から覚醒した日の夕方、車いすに乗せられ病院の駐車場から携帯を取り出し、大学に通う妻(になる人)と「いまこっちでは月が見えるよ」「こっちも見える」と会話を交わして嗚咽したこと。恐ろしく強力な薬によって見せられていた自分のストーリーから解放されたことの実感と喜び。

 

これらを事細かに書くことが今年の目標です。
「10歳」になったいまなら「そういう人がいた」というくらい突き放して書けそう。

2003→2013 生きてます。

休みが長いと私事ばかり書いてしまうのは僕だけじゃないようです、いろんなBlogを読んでいると。プライベートに割く時間が増えるぶん社会との接点が減ることと、お正月はふだん会う人と会わなくなったり帰省したりするから内省的になるんでしょうね。自伝を書くなら正月休みがぴったりです。

 

で、私事ですが2013年はBlog更新歴10周年の(僕だけの)記念すべき年です。

10年前の2003年はBlog黎明期でした。TwitterやFacebookはもちろん、YouTubeもGmailもない時代、Blogは文明開化の音がする新しいツールでした。個人がメディアを持てるすごいツールだ!ともてはやされ、数々のBlogサービスが雨後の筍のように誕生したものです。

apple_powermac_g4Photoshop 7がCS1になったばかり。Power Mac G5というモンスターマシンに256MBのメモリが積まれていた時代です。僕は2000年に父から大学の入学祝いで買ってもらったG4を使っていました。

「美大生はアレか?Macintoshか?」

Windows95に興奮し、自作PC作りを趣味とする父にはMacは「生ぬるいスカした野郎」だったかもしれません。なのに美大生=Macというまったく間違っていない固定観念をどこから入手したのか、当時42万円もしたMacをねだることもなく買ってくれたのでした。母は反対してましたが。

2003年頃の自宅アパート。書棚には『広告批評』とアラーキーの写真集と椎名林檎のCD。

そのポリタンク型のPower Mac G4 500MHz(iPhoneよりも低スペック!)を相棒に、630万画素のEOS 10DとPENTAX67という2kg以上する中判カメラを持って作品作りに没頭していました。写真を趣味とする人にありがちですが、機材だけは一人前でした。資金繰りが大変だったので居酒屋やテレアポのバイトで汗を流してました。

大学(武蔵美)では映像学科で写真を専攻していたので、立川のアパートに暗室も作っていました。フィルムカメラとデジカメの両方を行ったり来たりしながら、そもそも写真家になりたいのかそうでないのかを決めかねずにシャッターを切る毎日。

2003年〜2004年頃の習作(デジカメと中判カメラが半々)

グループ展なども開いていましたが、日々の発表先として「Webサイトを作りなさい」という課題が、デジタル写真を写真家業として先駆的に取り入れた写真家・小林のりお先生の授業で出ました。

小林のりお先生「デジタル写真基礎」(大学3年時)

Dreamweaverを使って先生のソースコードを見よう見まねでサイトを作り、Photoshopでリサイズした写真をアップする。画面に出る。他のマシンでも出る。すごい!世界に発信されている!
いま思えば、これが僕のWebとの「作り手としての」最初の出会いでした。

 

さて、前置きがずいぶんと長くなりましたが(今までのは前置きだったんかい!)、写真を発表するため「だけ」に作られた個人サイトにBlogを付けたのは、親からの要請があったからなのです。実はこの1年前の2002年、22歳の僕は大病を患い1ヶ月以上入院していました。

病床からパチリ

抗がん剤ほどの副作用をもたらす注射を毎日打ち、眼の裏側の毛細血管が出血することで起こる失明の不安におびえながら、みるみるうちにベッドから立てなくなるほど体力を奪われました。髪の毛が抜けなかったことは幸いでしたが、治すための薬で身も心も衰弱するとはどういうことだ?と天井に訴えかけていたことは今でも忘れられません。

そんな、人生でいちばん辛かった夏。最初の外出許可が出たときに、いまの妻と青山ブックセンターに行ってTUGBOATのトークショーに参加したのはいい思い出です。タクシーから降りた瞬間にぶっ倒れてしまいましたが。写真家という漠とした将来像とは別に、広告の世界が常に輝いて見えていました。

 

1ヶ月を超える入院期間を経て通院に切り替わったその年の冬。大学には休学手続きを出し、みんなが大学に通っている間に雑誌『広告批評』が主宰する「広告学校」に通ったり、妻(になる人)の作品作りの手伝いをしたり、写真を撮ったりしながら悠々自適の生活を送っていました。今度は天井ではなく空に向かって自由と健康を謳歌していました。

ところがある朝、週3回に減らした薬の副作用がどっと噴き出し、ラッシュアワーにとある駅のホームで倒れて線路に落下。

正確には副作用が精神に作用し、まるで操られるかのように明確に「死のう」として飛び込んだのですが、頭の中では走っていたはずの電車は走っておらず、近くにいた3人の方々に助けられました。

その当時の出来事はかなり克明に覚えていますが、あまりにもネタが豊富にあるので、詳細は別の機会に書きたいと思います。親戚から「小説として出版したら」と言われるほどの数奇な体験をしましたが、ハッキリ言えることは、自殺未遂はすべて副作用のせいであり自分の意思ではないということです。事実、この薬によって年間数名の患者が自殺しているという記事も入院中に読んで知っていました。

話を戻します。

文字通り奇跡的に助かりましたが、副作用は抜けきれず警察に運ばれ、取調中に気絶し今度は救急車に運ばれそのまま入院。見知らぬ病院でなんと20日間の混迷状態を彷徨い、ようやく「生還」しました(このくだりだけで30ページは書ける自信あり)。

自分の息子が20日間も目を覚まさなかったってどんな心境だった?と後になって母に聞いたところ、母は僕が植物人間になることも覚悟しろと宣告されていたそうです。そりゃそーだよね、長すぎるもの。

話を飛ばします。

 

死の淵から蘇った翌年、また3年生として復帰。そしてデジタル写真基礎というデジカメとDreamweaverを使う授業に繋がるわけです。

自分の写真を誰にでもなく気軽に公開する場を得た僕は、それを田舎の親に見せようとWebサイトの存在を知らせました。その時、Blogを書いたら?と提案されたのです。理由は「生存確認」。ドライな言い方をするとそうなります。ただ写真をアップするだけじゃなく、日々の出来事を書いてくれていれば安心する。そう考えたのでしょう。もともと日記は小学生の6年間ほぼ毎日欠かさず書いていたので、抵抗もありませんでした。

まだまだ未熟です。

分からないことと知らないことが混在しています。

分からないことを明らかにするために、日記を書くことにしました。

Die Another Day
別の日に死ぬ

「今日はまだ死んでない」という意味らしい。

まだ生きている間の日記。

生きている間のことを、書こうと思う。

書き始めた頃の文章が妙に暗いのは、まだ自分を幽霊かゾンビのように思っていたからかもしれません。これでは親は余計に心配しそうです。

 

よく「Blogの集客力をアップさせるには、1テーマに絞り込み、タイトルは内容を15文字程度で要約し、読者の役に立つことを書くように心がけよ」などのTipsがブロガーさんから発信されますが、僕のは事の発端からしてこんな感じなので、テーマもバラバラ、タイトルも不親切、役に立つこともナシです。心がけていることといえば、専門的なことは砕いて書く。なるべく親でも分かるように。

何ヶ月も更新しないときも何度もありましたが、とりあえず10年目。これからも「生きている間のことを、書こうと思」います。

 

追伸。おかげさまで身体はすこぶる健康です。この正月は帰省せずにすみません。

桜流し

去年いちばん聴いた曲は宇多田ヒカルの「桜流し」でした。

2006年に代々木体育館でLIVEを観ました。当時も「Passion」、「This is Love」、「Traveling」、「Keep Tryin’」、「光」と数々の名曲を披露してくれましたが、「桜流し」の絞り込まれた言葉で綴られた歌詞と切ないメロディは、表現者・宇多田ヒカルの新しい扉を開いたと言っても過言ではないと思います。

自分の大切なものが愛おしくなる、なくしたくないと思う、でも花が散るように有限なんだと気づかされる、そんな歌。

 

紅白では美輪明宏さんの「ヨイトマケの唄」と、ももいろクローバーZのメドレーに喝采を送りました。2012年の年間では木村カエラ、Mr.Children、井上陽水、中島みゆきのLIVEとサマソニに行ってきました。今年はどんな新しい歌に出会えるか。これまで通り、できるだけ生で体験していきたい。

 

このRemixも好き。もちろんオリジナルがいちばんですけど。

2012→2013

あけましておめでとうございます。

今年のお正月は実家にも帰省せず、東京で夫婦水入らずの日々を過ごしています。

昨年、2012年は自分にとってとても大きな意味のある一年でした。

7月に約6年3ヶ月勤めた会社を辞め、8月からBIRDMANに転職。
コピーとももクロをこよなく愛する後輩のがんばりに助けられ、前職で培った信頼関係も追い風となり、そして舞い込んでくるユニークな案件に刺激され、文字通り生活が一変しました。

夏の社員旅行と冬のケミカル鍋。

夏の社員旅行と冬のケミカル鍋。これだけ見るとすごい遊んでる‥‥。

人数が少ないぶん、自分の動きが会社に与える影響力の大きさと責任を実感しながら、日々「頭のスポーツ」をやっています。どこの筋力が弱いのか、どの競技に苦手意識があるのか、など、自分なりの課題も見えてきました。仕事始めの7日からはその課題をトレーニングしようと思います。もっと自分で仕事をつくっていきたい。そんな心境です。

 

同じ7月は初の海外ひとり旅も敢行。どこに書いたか忘れましたが、2012年のテーマは「旅」だったので、NY旅行と転職というふたつの旅を果たせたことはとても嬉しい。

JAZZ、ART、MUSICAL、そして街そのもの‥‥NYで得た刺激はまちがいなく一生モノです。そういえば旅行記Blogは年をまたいでもフィニッシュできてませんが(汗)、折を見て書き上げようと思います。自分のために。

 

さらに7月25日、この日のことは一生忘れないでしょう。PerfumeのMusic Videoにエキストラとして“出演”しました。

 

円形のステージを囲む観客の最前列、しかも、かしゆかの目の前!
この中央ちょい右で人差し指を突き上げているのが僕です。

LIVEにはもう10回以上足を運んでいますが、本当に彼女たちは存在していて、全身で表現してこの熱量をつくり、パッケージ化して全世界に送り届けているんだ、というごく当たり前のことに改めて気づかされる出来事でした。その一片に参加できたことを嬉しく思い、機会を与えてくれたチームPerfumeに改めて感謝。制作現場というLIVEとは別の興奮を堪能し、嫉妬も覚えました。いつか仕事したいなぁ。

 

まとめのtogetterはこちら

こうして映像に残っているということは、夢じゃなかったんだな。素晴らしい体験でした。

 

去年は7月に充実した出来事が多すぎたので、今年はもう少しまんべんなく盛り上がる月をつくりたい。思い出せるようにBlogももうすこしマメに書きたい。運と勘と経験と出会いを武器にこれからも突き進みます。本年もよろしくお願いいたします。