Advice

自分がやっている「インタビュー記事作成」に関して、
第一読者の彼女にアドバイスをもらいました。

正確には、遠慮のないダメ出しです。

「これじゃ記事にならない」
「クローズアップすべきはむしろこっちなんじゃない?」
「やり直した方が早いよ」

最終的に「巻頭差し替え!」のひと言。
(たぶん『働きマン』の影響)

 

自分が積み上げてきた仕事をここまであからさまに
否定されるとふつうは怒って反論したくなるものだけど、
あまりに的を射た、目から鱗のダメ出しに感動を覚えて
その時ばかりは編集長!と呼びたくなりました。

 

でも、

「編集長はあなたなのよ。私は外野で、
 外野は好き勝手なことを言うものなのよ」

と言われ納得。そっかぁ。だよね!

「あなたが納得してどうするのよ。
 私を納得させてよ、その記事で」

ちょっとマンガの影響受けすぎ。

Think about Tiger

やっとMac OSを10.4Tigerにした。

メールの使い勝手が格段に上がり、
Dashboardからはお天気はもちろん、
ログインせずにmixiの更新まで把握できる。
SafariがRSS対応になって、友達のブログも
全員分を1画面でナナメ読みできてしまう。

ひとことでいえば「検索」能力がアップした。
その場にいかなくても情報が把握できてしまう。
Google ニュースのように。

アクセスの手順が減ることは、いいことなのか?
今のところ恩恵を感じてはいるけど、自分のサイトは
逆にRSS対応にしたくないかも、と思った。

ジャケットの概念を崩してしまったiTunesの台頭と似ていると思う。
情報というと漠然としているけど、技術の進歩で、もっと漠然とした
「意味」だけでやりとりが可能になった。意味さえ捉えられればいい。

逆に、リッチコンテンツ(Flash)がもてはやされるのも分かる。
実際にその場へアクセスして初めて意味を感じてもらうために。

Appleだけじゃない。
来年にはWindowsも検索能力を上げてやってくる。
それでも、人のイメージ処理能力が上がるわけじゃない。

まっとうでちっとも面白くない結論だけど、
まずは、より一層、丁寧に作ってゆくしかないだろう。

Maybe Autumn

さまざまな過程を経てひとつの表現を得た人と、
今まさに辿りつこうともがいている若者の両者に
インタビューをし、記事にする。

これが目下のぼくのお仕事です。
大学の恩師からのありがたい依頼で、
不思議な巡り合わせでやっております。

他人から発せられた声を字に起こす行為は
自分の頭の中を書き出すことよりもずっと
間接的な行為で、世のあらゆる新聞・雑誌の
インタビュー記事や対談記事がいかに上手に
読みやすくまとめられているかを痛感します。

やってみないと分からないもんだなぁ。

 

連休中もずっと取りかかっていましたが、
要所をうまく抽出するには単なる書き写しじゃダメで、
ある程度の再構築がモノを言うことが分かってきました。
分かるとさらに作業が果てしなく感じられます。

思いっきり、時間の経過を気にすることなく
無為に写真を撮りたい欲が出てくるのですが、
今月は諦めています。

 

他には映像コンテを書いたり提出したり、
部屋の模様替えをしてみたり読書をしたり
いたってインドアな生活を続けています。

銀ちゃんとヤス

TSUTAYAにて。

男A「まじっすよ、この映画オススメっすよ」
男B「いいからパス。次!」
男A「コレはどうっすか?アイロボット」
男B「アイボ?もっと他にねーのかよぉ」
男A「じゃあランキングの棚をぜんぶ見せます!ほらっ」
男B「どれもパッとしねーなぁ。何だよ?これ」
男A「だからTSUTAYAランキングっすよ!」

 

男Aは緑のジャージ姿の金髪少年。
彼はずっとFOMAのTV電話で、DVDの棚に
ケータイをかざしたり自分に向けては、
受話器の先の男Bにお伺いを立てていた。

スピーカーフォンにしてるから会話の中身も筒抜け。

 

TV電話のCMになりそうな風景だった。
来てるな、未来!

about 9.22

朝。
彼女はモーニングを食べると言い残して
雨のどこかへ消え、入れ替わりに大家さんと
電器屋さんが来てエアコンの取り替え工事。

昼。
喫茶店で彼女と再会。
浪人時代の昔話をし、秋服のチェックに
駅前ルミネを上から下までぐるぐる巡る。

夜。
ポートフォリオを持参して
アルバイトの面接のために代々木へ。
とてもいい雰囲気の会社だった。結果は後日。

深夜。
お隣からキーンという怪音がして
また寝るタイミングを逃してしまった。

Grandfathers

そういえば、
父方は商売、母方は教育の家系で、
ぼくの母方の祖父母は国語教師でした。

そんなことをふと思い出しました。

母方の祖父は今のぼくと同じ年頃に
第二次大戦でシベリアに抑留され、ソ連軍のもと
樹の根っこや少しばかりの芋を食べながら生き抜き、
極限状態で日本に帰ってきたそうです。

もちろん、こんな一言で片付く出来事ではなかったはず。

ですが、今となってはあまり詳しい話は聞かせてくれません。
多くの友を亡くし、もう戦争映画ですら見たくないと言います。

60年前に死別した友人の名前や性格を覚えていることに驚きます。
同じ高校(旧制中学)の人は日本で最初の特攻隊員だったそう。

敗戦に伴い帰国。
祖父は寺の坊さんと教師の二足のわらじを履き、
紅白歌合戦の審査員をやったり、市長のゴーストライターをやったり、
戦時とは打って変わって“文化功労者”として生きてきた人です。

そんな一切を知らずに寺の孫に生まれたぼくと弟は、
庭で除夜の鐘を突いたり、閻魔さまの絵や地獄絵図を見て泣いたり、
寺の華美な装飾に触れながら墓場でかくれんぼしたり。

今になって、あの環境のありがたさを感じます。

 

父方の祖父母の家は庭が工場だったので、
クレーン車やショベルカーの下でかくれんぼをして遊びました。
自然に包まれた寺と、機械に囲まれた工場が幼少期のぼくを形成しています。

 

何もないゼロ地点から、どちらも
個人の力で家族と仕事を築いてきた人たちです。
きっと周囲の協力も並大抵ではないかと思いますが、
好きなことで環境を造り上げていったところがカッコイイ。

未だに、ぼくは二人の祖父に憧れを抱きます。